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『濹東綺譚』 | 永井荷風
24歳 | 男性 | 学生 | 中也くん
永井荷風の『濹東綺譚』は、「つゆのあときさ」や「すみだ川」で有名な荷風が1937年に『朝日新聞』に連載した作品です。
内容はなんてことありません。自宅の周囲の喧騒に耐え切れず夜な夜な散歩に出る主人公「わたくし」が、玉の井でたまたま出会った娼妓・雪子と親睦を深め、そして別れることになる……それだけの作品です。
ではこの作品の何が素晴らしいかというと、漢文の素養にあふれた荷風の美しい文章と、雪子との関係を必要以上に感動的に語ろうとしない淡い筆致です。
文章の例を挙げましょう。引用は、雪子(お雪)が「わたくし」とあった日のことを懐かしむようなセリフを言った時の、「わたくし」の反応です。
「わたくしは今、お雪さんが初めて逢った日の事を咏嘆的な調子で言出したのに対して、答うべき言葉を見付けかね、煙草のけむりの中にせめて顔だけでもかくしたい気がしてまたもや巻煙草を取出した。」
ふつうの小説家なら雪子と「わたくし」との関係を盛り上げるために、「わたくし」と雪子にしみじみとした会話をさせるところですが、荷風はそれを避けます。
「わたくし」はあくまで客と娼妓との関係から出ようとしません。二人はその関係の中でのみつながっているというわけで、それをことさらに強調するのです。まさに「粋」の世界ですね。
抑えられた筆の底から滲み出すような愛情と悲しみをゆったりと味わってください。長さとしては中編程度で、すぐに読めると思います。
いまや古典にもなっている荷風の代表作、一度読んでみてはいかがでしょうか。