旅行先
八千穂レイク | 長野県
埼玉県 | 会社員 | 30歳 | 男性 | 蒼氓
白樺の原生林…探しても見つけられなかった記憶。
どこをどう間違って、辿り着けなかったのだろう。
このツーリングは追憶の旅となった。
──実際にあったこと
台風が近づいているというのに、晴れてしまった。本来ならば、私が企画していた職場のライダー同士の撮影会をする段取りであったが、前日の決められた時間での降水確率がNG基準だったので安全を見越して中止にしたのだった。しかし、夜が明けてみれば見事に晴れ、である。
──不燃焼気味のまま、私はR1150RSに火を入れた
本来行われていたであろうツーリング企画を想像しながら、その場所に行く。それは名栗湖である。他の世界線では…今まさに同僚たちと笑談しながら愛車談義をしているだろう。そんな想像をしながら私はさらにボクサーのアクセルを開け続けた。志賀坂峠を目前にして雨に降られた。今戻れば、晴れた気分のまま今日のツーリングを終われる…しかし、オートバイ乗りは一度走り出してしまうと、止まることもUターンも…勇気がいるということに気づくだろう。私は勇気がなかった。そのまま突き進んでしまって、ずっと雨に降られる道を選んだ。
濃霧の十国峠を越え、長野県側に下りてしばらく走ったところに白樺の原生林があった。この頃になると小雨というより霧雨に近かった。台風が近づいているという予報だったからか、全く人気がない。八千穂レイクという湖があった。白樺の原生林の中を通り、その湖に足を運ぶと、数名釣りをしている人がいた。
──後日の再訪で、白樺の原生林が見つからず
…この白樺の原生林が、確かに存在したのだ。後日、晴れた日にもう一度白樺の原生林を見たくて同じルートを辿って見たが、どこをどう間違ったのかとうとう辿り着けなかった。霧雨の中の原生林。自分とオートバイしかいない不思議な世界だった。この時に感じた感覚がより、私の中で「辿り着けない」現実と合わさって不気味さえ感じた。
ようやく、地図で再調査をして場所を突き止めた。やっとその場所に再訪できたのは、夏も終わった秋中盤だった。しかし、10月には関東圏に大きな被害を残した台風の影響で、国道299号の回避ルートであった林道でさえも崩落のため通行止めとなり、埼玉県側からのアクセスができなくなってしまった。幸いにも事前情報として仕入れていたことなので、無駄足をすることなく、今回は高速道路で諏訪ICで降り、早朝からビーナスラインを経由しての再訪となった。
ビーナスラインを抜け、どこかで見覚えのある街並みの中を走ると、八千穂レイクの看板が目に入った。
交差点を右折すると、確かにここを通った記憶が蘇ってきた。中部横断道の入り口を過ぎ、少しずつ高度を上げて行く。途中で稲刈りも終わった寂しい田んぼに、3人の案山子が立って、その遠くに山並みが見えた。郷愁を感じさせる風景だった。ツインの排気音とともに私はその場を過ぎた。
誰ともすれ違わない、自分だけが占有しているかのようなこの道路を掛けて行く。記憶が鮮やかに蘇る。あの日は台風が近づいていて、雨が降ったり霧に囲まれていた。だからいつ思い出しても、記憶の中の白樺の原生林はどこか靄がかかってそのディティールを思い出せなかった。今、あらゆるものが姿を現した。
あの日と同じ場所にオートバイを停めて、白樺の中を歩く。すぐ目の前に八千穂レイクが姿を現した。平日だから誰もいない。湖面は静かだった。湖面は秋空を映し、釣り人のいない寂しい感じがぐるりを占めていた。
ゆっくりと歩く。落ち葉と枝を踏みしめる音だけが聞こえる。前回はできなかった散策だ。鳥の鳴き声がして見上げると、白樺の枝木に止まっていた。静かにカメラを構え、シャッターを押す。鳥は微動だにしない。シャッター音の後に、改めて静寂がこの原生林を支配していることに気づかされる。とても静かだ。
白樺の小径を奥へと歩いていく。ここには私一人しかいない。誰も通らない。カメラを構えても、この空気感を写し取るのに苦労する。私の写真の腕が足らないのかも知れない。誰もいないのだから、気兼ねなく構図を考え、カメラを構えてなんども、なんどもシャッターを押す。秋の空は高かった。
どうしても訪れたかった白樺の原生林に、今いるのだ。
気づけばもう陽が傾いている。もう帰らなければならない。後ろ髪を引かれる思いで、白樺の原生林を後にした。
次はいつ、再訪できるのだろうか。