トヨタアリオンで行く被災地への旅〜長野県諏訪車中泊編

車中泊の場所と車種

長野県諏訪SA | トヨタアリオン | 1人


宮城県 | 自営業 | 42歳 | 男性 | まろみまどろみ

2011年3月11日私は仕事で香川県高松市でその悲報を知った。
正直何が起きたか把握できないでいた、実家の宮城が恐ろしい状況になっている事しかわからなかった
職場に連絡をすると、
上役から「現地に入れ!組合と話つけて追って救援物資と人を送る!現地で状況の把握をしろ!」と伝えられた。
出発において、当面の物質として衣類毛布食品燃料をアリオンに積み込んだ。
準備において悩んだのはガソリンとタイヤの手配だった。
10リッターの携行缶を用意はしたが心許なく感じ、また冬場の東北地方を走る為のスタッドレスタイヤも無理くり後部座席に詰め込む状況だった。
途中、神戸市内のSAにて自衛隊、警察車両と合流し東北道が使えないことを知った。
何故か眠気が無く、常にラジオからの情報と携帯電話のメールで逐次社内の情報をやり取りしていた記憶があるだけだった。
実家の状況も未だ報道には乗らず、電話もメールも繋がらない、余震と津波の影響も分からずだった。
高速道路においては交通規制と一部停電の影響か下道に降りなければ行けない経路もあった。
名神高速道路を降りた所で緊急用車両以外の給油も出来るガソリンスタンドを見つけなんとか給油したが、心身ともに何故か疲労が湧かず、常に緊張感で満たされていた。
東北道が使えないと再度確認してから、中央自動車道から北陸に向かい、
日本海側から新潟もしくは山形からの蔵王超えルートを決定した。
途中の休憩地点として、他県の県警車両が諏訪サービスエリアを挙げていたので、
自分もそれに乗っかり、またそこでタイヤ交換の予定に入れた。
途中、雪道の為速度規制が入りノーマルタイヤであった為、遅々として進まぬ行程にヤキモキもし、又、ラジオから流れる被災地の状況の変化に目的地に着く恐ろしさを感じていた。
その中で深夜に着いた諏訪サービスエリア、一件のメールが携帯に入ってることに気づいた。
母からだった…実家はなんとか被災を免れている事、インフラが止まっている事、上役から自分が向かっている事への心配が綴られていた。
その時、一気に緊張感が抜けた。しかし何故だか眠気が湧かない
車両移動の鉄則として、休憩と睡眠を取らねばと焦りつつ、サービスエリアにおいて食事を取る。
残念ながら何を食べたのか覚えてなかった、しかし…ここで諏訪サービスエリアの奇跡に出会えた!
なんと、諏訪サービスエリアには温泉がついていたのである、雪がまだまだ残る寒さの厳しい長野の三月において睡眠を即座に取らなければいけない自分にとっては、砂漠のオアシス同様の奇跡だった。
諏訪湖を一望出来る温泉に浸かり、人心地を得た自分は毛布を二重にくるまり深い睡眠を得られたのであった。
今回の諏訪サービスエリア車中泊のオチとして、どのくらい深い眠りだったかと言うと、
2011年3月12日3時59分ごろ、長野県から新潟県中部にいたり最大震度6強が発生してたのにも関わらず、
一切目も開けないで寝て過ごせたのである。
諏訪サービスエリアの奇跡の温泉のおかげなのか、
目を覚ました後は疲れも全く感じず後の被災地への行程に進める事が無事出来たのであった。