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バス旅行の幸福がいかに不幸に変わるか!?

車中泊の場所と車種

長野 | バス | 2人


東京都 | 自営業 | 56歳 | 女性 | 一途

1.じゃあ、バスで出かけよう!
特に理由があったわけでもない。スキーに出かけようという話になり、夜行バスで行くことになった。北へ向かう夜汽車ほど暗い人ばかりが乗っているわけでもなく、スキーに行くために夜行バスで車中泊をした。車を運転していくと運転でも気を張るので、のんびりバスで行くのは悪くないと思った。運転手の脇にある小さなテレビに映る映画を見たり、バスガイドと歌を歌ったり、そんな気楽で楽しい感じを悪くないと思っていた。ピース!
2.寒気と恐怖の正体
夜半に寒いな!と思った時には、何かの悪い波になっていた。寒気が止まらず熱が上がった。楽しいばかりのスキー旅行も、これでは台無しだ。ハッピーだ!とワクワクドキドキバスガイドと明るい歌などを歌っている幸せな世界と奈落の底の不幸というものは、同じ人間のように見えないほどの別世界だ。今では、映像投稿サイトがたくさんあり、気に入らない!と言ってハッピーな絵から奈落の底に落とすということがゲームを新しく作らなくても簡単にでき、想像もつきやすい。当時は、ハッピーだと言ってバスガイドと歌を歌っている場面から叩き落とすためにどれだけのことをするのか、ちょっと想像もしていないことだと思ったものだ。風邪や靴ずれや歯痛など、事件でなくともハッピーな場面というのは、台無しになることがある。ここで大事なのが、一見普通、一見誰もそんなことしていないというような体裁というもだ。それは、見栄などではなく人間にとって大事なものなのだ。こんなにも悪い人しかいないのに生きていけるものなのか?体裁や体面などで、どんなに悪く思っていても、取り繕って対面できるようなら平和が続く。平和な世界で羽目を外しても、馬鹿なことをしても、案外平気だろう。体裁が壊れ干渉や取り締まりが厳しいと、平和とはならず尊厳を脅かそうとする狂人ばかりが話題となる。わざと傷つけわざと壊すものを犯罪者と呼ぶことには変わりない。時代が変わっても変わらないのだ。