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B’zが長年無視されていた!?渋谷陽一と30年越しの距離と雪解けの記録

 

B’zのライブはSTARSの最終日に行ったっきり。2025年は冬のツアーをするとか言ってたけどどうなったのだろうか?まだ夏真っ盛り(7月下旬)なので先の話ではありますが。
稲葉ソロとイナバサラス、TMGと最近はライブ三昧でした。

そんな折、渋谷陽一氏の訃報でB’z界隈がザワザワしているという投稿を見かけたので、AIに調査してもらいました。
こんなことが起こってたんですね。知らなかった^^;

はじめに

日本ロック誌界のキーパーソン 渋谷陽一 と、国民的ロックユニット B’z(松本孝弘・稲葉浩志)。両者の関係をひと言で表すなら「長い空白と急速な和解」です。この記事では、1990 年代から 2025 年までの歩みを年代軸で整理し、その背景にあったメディア戦略と時代変化を読み解きます。


1. 渋谷陽一とは

トピック
1972 音楽誌『rockinʼon』創刊。洋楽ロック評論を中心に活動開始
1993 野外フェス ROCK IN JAPAN の前身イベントを立ち上げ
2000 以降 メディア事業を拡大し、出版・フェス運営・ラジオなど多角化

編集哲学 は一貫して「洋楽志向・オルタナ志向」。邦楽でも“ロック的必然”がなければ扱わないという姿勢が特徴でした。


2. “ロキノンとビーイング”——90 年代の断絶

  • 1988–1990:B’z デビュー〜ブレイク期。ロッキング・オン系列誌での露出はゼロ。
  • 1994:渋谷が自誌『bridge』の編集後記で「サウンドは好みでないがビジネスは評価」とコメントしつつ、誌面に載せる必然性は薄いと明言。
  • ファンの反応:B’z コミュニティでは「ロキノンはアンチ」というラベリングが定着し、対立構図が深まる。

ポイント:対立というより「編集方針による選択的スルー」。


3. 点と点がつながった 2007–2016

出来事 ロッキング・オン側の扱い
2007 B’z が Hollywood’s RockWalk 殿堂入り WEB ニュースで速報(雑誌未掲載)
2010–2016 海外受賞・映画タイアップ等 ウェブ短報のみ。誌面取材は依然なし

断続的ながら「ニュース価値のあるトピックのみウェブに掲載」という“点描”の関係が続きました。


4. 2017 年『DINOSAUR』期の和解

  1. ニュース集中掲載:アルバム『DINOSAUR』や映画『ジオストーム』主題歌決定を詳報。
  2. ライブ&作品レビュー:東京ドーム公演レポートで「30 年の高み」と高評価。
  3. 初の本誌ロングインタビュー:『ROCKIN’ON JAPAN』2018 年 1 月号で表紙・巻頭 42 ページ特集。

背景考察

  • ロッキング・オン側:読者層細分化で邦楽大物の特集が必要に。
  • B’z 側:デビュー 30 周年プロモーションでメディア露出を拡大。

5. 2025 年:訃報と再評価

  • 2025/07/14:渋谷陽一が誤嚥性肺炎で逝去。ロッキング・オン公式が声明を発表。
  • ファンコミュニティの変化:かつての「ロキノン vs B’z」対立は歴史的遺物となり、両者の関係は通常の“大物アーティスト&音楽メディア”へ収斂。

6. まとめ:ズレが生んだ空白と歩み寄り

  1. 1990–2000 年代:洋楽・オルタナ志向の編集方針により B’z は“選択的スルー”。
  2. 2017 年以降:30 周年プロモーションとメディア戦略の変化が合致し、本格的な取材が実現。
  3. 現在:渋谷氏の逝去を経て対立構図は解消。ロッキング・オンは B’z を邦楽大物の一組として継続的に取り上げている。

ひと言で言えば、編集哲学と時代環境の“ズレ”が長年の空白を生み、そのズレが解消した途端、両者はごく自然に歩み寄った——そんな 30 年史でした。

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